粉菓子のこと14 白雪糕の変遷

白雪糕が、ウルチからモチに変わっていく過程では、
まず、モチ米の糒(ほしいい)、つまり道明寺(モチ米を蒸して干した状態)
粉にしたものに変わったのかもしれない。
糒を使ってつくった白雪糕だと、最初にもち米を蒸しているため、
蒸さなくても大丈夫なため、作業が省略できる。
もちろん最後に蒸すか、食べる前に蒸すほうがよりおいしいと思うが。
また、砂糖を多めに入れれば、日持ちもクリアできたと思われる。

戦国の世には、兵糧として各藩備えしていた糒(ほしいい)だが、
世の中が安定してくると、大量の糒を蓄えることは、かえって謀反を
疑われることもあり、糒に対するスタンスも変っていく。
菓子に転用させていったひとつの結果が、糒の白雪糕かもしれない。
落雁も糒の転用だと言われている。
さらに各藩とも、砂糖が手に入りやすくなったことも、白雪糕などの
菓子が広まる一因となったかもしれない。

この一次変化の状態の菓子が、秋田の「山科」のような形で残った
可能性もあるのではないか?

しかし、その後、落雁と同じ、2度熱処理をする炒りみじん粉を使う製法に
変化したのではないか?枠に詰めるだけと違い、
落雁のように木型に詰めるには、しっかり火が通っていて団子になりにくい
粉のほうが、、型の細かな造形を再現するのに向いたと思われる。

そこで、越後の粉菓子だが、
新潟には、現在もウルチの炒り粉も使うことがあるようで、糒とはまた別の
進化(白雪糕からみたら退化?手抜き版?)を考えてみたい。



HPの「お菓子かわら版」のほうに、「良寛さまと白雪餻」をアップした。

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