白雪糕その1 川口屋宇兵衛の「ちちの粉」
江戸の日本橋にあった絵草紙屋、川口屋宇兵衛は、
版元としても大きな商いをしていたようであるが、
同時に、「ちちのかわり薬白せつかう」、「御薬ちちの粉」、
「ちちの出る薬」などを売っていた。
「御薬 白雪糕 かる焼精製所」として、軽焼きとともに
白雪糕もつくり、売っていたようだ。
白雪糕は菓子屋、薬屋、さらに絵草紙屋(版元)までも商っていた
ということに驚いた。
江戸後期から明治・大正へ続く(その後も名残あり)、庶民にも
贈答文化がひろがってくると、子どもの病気見舞い、
産後や病後のお見舞いに、赤絵、赤物といった縁起玩具などと一緒に、
かる焼き(病が軽くすむよう)、白雪糕(薬問屋の宣伝文句によれば
万病に効く)を贈る習慣が始まった。
玩具も菓子も商うことで、集客効果があがったのだろうか?
そして、自分のところで出版している絵草紙に、白雪糕などの
宣伝を載せており、川口屋宇兵衛はなかなかの商売上手である
詳しくは、こちらで。
川口屋宇兵衛関連の資料は、則武様よりいただいた。
版元としても大きな商いをしていたようであるが、
同時に、「ちちのかわり薬白せつかう」、「御薬ちちの粉」、
「ちちの出る薬」などを売っていた。
「御薬 白雪糕 かる焼精製所」として、軽焼きとともに
白雪糕もつくり、売っていたようだ。
白雪糕は菓子屋、薬屋、さらに絵草紙屋(版元)までも商っていた
ということに驚いた。
江戸後期から明治・大正へ続く(その後も名残あり)、庶民にも
贈答文化がひろがってくると、子どもの病気見舞い、
産後や病後のお見舞いに、赤絵、赤物といった縁起玩具などと一緒に、
かる焼き(病が軽くすむよう)、白雪糕(薬問屋の宣伝文句によれば
万病に効く)を贈る習慣が始まった。
玩具も菓子も商うことで、集客効果があがったのだろうか?
そして、自分のところで出版している絵草紙に、白雪糕などの
宣伝を載せており、川口屋宇兵衛はなかなかの商売上手である
詳しくは、こちらで。
川口屋宇兵衛関連の資料は、則武様よりいただいた。
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