新潟日報夕刊エッセイ「晴雨計」 第五回 八朔の馬、二月の犬
八朔の馬、二月の犬
新潟日報 2012.8.31 夕刊掲載
明日は9月1日。月遅れの八朔(はっ
さく・8月朔日(ついたち) )節供です。昔
は越後でもお祝いをしていましたが、現
在「八朔」の風習が多く残るのは、主に
西日本のようです。
暦2月の涅槃会に、お寺で犬の子団子を
撒くことは、とても意味深いことだと思
いませんか? そして八朔は、収穫直前
に台風などの災害がないよう、人事を尽
くして天命を待つという気持ちから「頼
みの節供」とも言われています。
枯れ木を蘇らせる「灰」は、命を凝縮した状態。
「花」=「桜」は「稲」を象徴するとも言われれる。
「お花見」はその年の稲の作占だったともされ、
桜の花の咲き具合で、その年の稲の作柄を占った。
馬や犬は、土でもつくられる。
豊臣期の地層から出土する土人形で一番多いのは
全国的に犬型だという。
馬は、あらゆる素材でつくられた。
絵馬、紙馬(大陸では多い)なども信仰と密接。
そのなかでも、土、米、稲藁でつくる馬は、
稲作の行事とも深く結びついている。
「八朔の馬」について、
讃岐の八朔「馬節供」を、文化遺産オンラインで。
芦屋町の八朔行事ではわら馬と団子雛(だごびーな)をつくる。
「いとおかし*芦屋かるたと八朔のだごびーな」でも紹介。
「2月の犬」に関しては、
「いとおかし」ページで、越後の「涅槃会のだんごまき」、
越後の「犬の子」、輪島の「犬の子」。
「ちんころ」については、「いとおかし*ちんころ」と
お菓子かわら版vol.10「十日町のしんこ細工 ちんころ」へ
八朔の馬の献上については、古くは『日本書紀』に見える。
「祓えつもの」として、国造が馬や布、郡司が刀や鹿皮、民は麻を納めたとある。
馬は、御牧(信濃の望月など)から牽かれ、近江の逢坂で朝廷役人により迎えられた。
「犬の子朔日」「インノコツイタチ」は、
江戸時代末期の『諸国風俗問状答』などにも、すでに
その由来がすでに不明と報告されている古い習俗。
その名残りとして、現在柏崎の「インコロ」がわずかに
保存されている。十二支がそろった写真は春展ページへ。
「2月のやせ馬」に関しては、
「いとおかし」で、長野の「やしょうま」、東京の「やしょうま」、
さらに、しんこ細工をともなう八朔行事として、
宮島の「たのもさん」、牛窓の「ししこま」などのぺージもご参考に。
博多では、近年まで、八朔に笹飾りが行われていたようだ。
子どもの成長祈願となっており、笹にたくさんの飾りや短冊、さらに
「まゆだま」のような餅種製の飾りも見られ、興味深い。
博多八朔の短冊などは、川崎巨泉が描いた絵を人魚洞文庫で見られる。
また八代では、八朔初節句の短冊や、一間羽子板などが
八朔という行事の、古い意味合いも残しているようだ。
旧暦8月と2月は、契約関係においても、大きな節目だった。
八朔には、宮中では「司召除目」という役人の入れ替え、
2月朔日は、「轡の朔日」「出替わり朔日」「口はめ朔日」などと
呼び、民間でも小作人の雇い入れなどの日であった。
八朔の「藤の花」という、しんこ餅については、
facebookページ「お守り菓子」2012.9.16の記事に書いた。
6回目のテーマは、「おもいのほか」
さく・8月朔日(ついたち) )節供です。昔
は越後でもお祝いをしていましたが、現
在「八朔」の風習が多く残るのは、主に
西日本のようです。
瀬戸内海沿岸地域では、八朔に米粉を
こねて、しんこ馬などをつくる風習(馬
節供)がみられます。なぜ馬を?と思い
ますよね。馬は神さまのお使いであり、
尊い生贄でもありました。そして、八朔
は宮中への馬の献上の日だったのです。
それを民間でもなぞり、わら馬、しんこ
馬をつくってきたのだと思われます。
新潟には「犬の子朔日」という行事が
ありました。八朔とちょうど半年違いの
2月朔日です。この日、家庭でしんこの
犬などをつくりました。その名残りや、
お寺の行事と結びついたのが、十日町の
「ちんころ」や、中越地区に多い、涅槃
会の「犬の子」団子撒きだと思います。
「ちんころ」には、犬に人が乗るモチ
ーフがあり、犬なのですが「馬乗り」と
呼びました。佐渡では、涅槃会にしんこ
餅の「やせ駒」をつくりますが、駒は馬
ですね。長野では、その名も「やしょう
ま」(やせ馬?)をつくります。どうも
2月のしんこ馬はやせているようです。
能登や秋田でも米粉で犬をつくる行事
が残るなど、東日本では、2月にしんこ
の犬をつくる地域が多いのですが、なぜ
犬なのでしょう? わからないからこそ
面白く、あちこち訪ねます。すると、犬
も歩けば棒にあたり、時には、ここ掘れ
ワンワンと言われたりします。
そう、「花咲かじいさん」にも犬が登
場しますね。おじいさんは、教えられた
場所を掘ってみると、大判小判がざっく
ざくです。この白い犬は、その後命を落
とし、「土」に埋められ、かたわらに
「木」が植えられます。すくすく育った
木は「臼」に、臼からは「餅」や財宝が。
その後臼は燃やされ「灰」となり、枯れ
木にその灰を撒くと「桜」が満開に。白
い犬が変身するものをたどってみると、
「白い犬」=「稲の霊力」が循環してい
るようです。
とすると、稲作の仕事始めにあたる旧暦2月の涅槃会に、お寺で犬の子団子を
撒くことは、とても意味深いことだと思
いませんか? そして八朔は、収穫直前
に台風などの災害がないよう、人事を尽
くして天命を待つという気持ちから「頼
みの節供」とも言われています。
枯れ木を蘇らせる「灰」は、命を凝縮した状態。
「花」=「桜」は「稲」を象徴するとも言われれる。
「お花見」はその年の稲の作占だったともされ、
桜の花の咲き具合で、その年の稲の作柄を占った。
馬や犬は、土でもつくられる。
豊臣期の地層から出土する土人形で一番多いのは
全国的に犬型だという。
馬は、あらゆる素材でつくられた。
絵馬、紙馬(大陸では多い)なども信仰と密接。
そのなかでも、土、米、稲藁でつくる馬は、
稲作の行事とも深く結びついている。
「八朔の馬」について、
讃岐の八朔「馬節供」を、文化遺産オンラインで。
芦屋町の八朔行事ではわら馬と団子雛(だごびーな)をつくる。
「いとおかし*芦屋かるたと八朔のだごびーな」でも紹介。
「2月の犬」に関しては、
「いとおかし」ページで、越後の「涅槃会のだんごまき」、
越後の「犬の子」、輪島の「犬の子」。
「ちんころ」については、「いとおかし*ちんころ」と
お菓子かわら版vol.10「十日町のしんこ細工 ちんころ」へ
秋田湯沢の「犬っこ」 |
「祓えつもの」として、国造が馬や布、郡司が刀や鹿皮、民は麻を納めたとある。
馬は、御牧(信濃の望月など)から牽かれ、近江の逢坂で朝廷役人により迎えられた。
「犬の子朔日」「インノコツイタチ」は、
江戸時代末期の『諸国風俗問状答』などにも、すでに
その由来がすでに不明と報告されている古い習俗。
その名残りとして、現在柏崎の「インコロ」がわずかに
保存されている。十二支がそろった写真は春展ページへ。
「2月のやせ馬」に関しては、
「いとおかし」で、長野の「やしょうま」、東京の「やしょうま」、
善光寺世尊院の涅槃図に供えられた州浜型のやしょうま。 |
さらに、しんこ細工をともなう八朔行事として、
宮島の「たのもさん」、牛窓の「ししこま」などのぺージもご参考に。
博多では、近年まで、八朔に笹飾りが行われていたようだ。
子どもの成長祈願となっており、笹にたくさんの飾りや短冊、さらに
「まゆだま」のような餅種製の飾りも見られ、興味深い。
博多八朔の短冊などは、川崎巨泉が描いた絵を人魚洞文庫で見られる。
また八代では、八朔初節句の短冊や、一間羽子板などが
八朔という行事の、古い意味合いも残しているようだ。
旧暦8月と2月は、契約関係においても、大きな節目だった。
八朔には、宮中では「司召除目」という役人の入れ替え、
2月朔日は、「轡の朔日」「出替わり朔日」「口はめ朔日」などと
呼び、民間でも小作人の雇い入れなどの日であった。
八朔の「藤の花」という、しんこ餅については、
facebookページ「お守り菓子」2012.9.16の記事に書いた。
6回目のテーマは、「おもいのほか」
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