新潟日報夕刊エッセイ「晴雨計」 第三回 プールサイドのせんべい焼き

プールサイドのせんべい焼き 
新潟日報 2012.8.17 夕刊掲載

 長岡での小学校時代、「塩せんべい」
焼く遊びをよくしました。
 どんな遊びかというと、何人かで両手
を出して輪になります。最初は手の甲を
上に向けます。親(煎餅を焼く人)が、
 しょーせんべい しょーせんべい
 どーのー せんべが やーけーたー
 こーのー せんべが やーけーたー
 と歌いながら一枚一枚のせんべい()
 を差し指で順番に軽くたたいていき、
 とまったところのせんべい()をひっ
 くり返します。片面が焼けたわけです。 
これを繰り返して両面を焼いていき、
最後に残ったせんべい()の持ち主が
次の親になるのです。
 記憶の中でせんべいを焼く私たちは、
スクール水着に水泳帽姿です。夏休みの
小学校のプールサイドで、顔を突きあわ
せて円陣を組み、せっせとせんべい焼き
に励んでいます。友人が言うには、「せ
んべいの焼き過ぎで、こんがり焼けたの
は、この私」なのだそうです。差し出さ
れたどの手も、その頃よく食べていた白
い魚のかたちの塩せんべいくらいの小さ
な手です。
 その塩せんべいはもうありません。手
焼きしていた方が高齢になり、ずいぶん
前に廃業されたと聞きました。
 切り紙の連続模様のように、右向き、
左向きと交互にくっついて焼きあげられ
た魚のかたちの塩せんべいは、ところど
ころに香ばしい焦げ目がついていました。
糯米製だったので、口の中で溶けてしま
うほど軽く、ほんのり塩味。それ以後こ
れほどおいしいものには出会えません。
特に「草加せんべい」のような堅焼きが
主流となった関東には、赤ちゃんでも食
べることができる、白くて軽いお米のせ
んべいがないのです。
 私の叔母は、病床で塩せんべいを欲し
がりました。血は争えません。叔母との
会話で、そのまた昔には、まん丸の塩せ
んべいもあったことを知りました。
 江戸で流行った「かるやき」という菓
子があります。「病を軽く」にかけて、
子どもの病気見舞いの定番として人気を
博しました。ほの甘い糯米せんべいだっ
たようですが、今は幻の菓子です。
 ところが、当時の製法を調べるうち、
れは、新潟育ちにとっては懐かしい
食感の菓子だったと確信できたのです。
 「手」焼きせんべい魂、恐るべし!


すでに幻となってしまった「塩せんべい」だけれど、
子どもの頃から食べていた、もうひとつのおなじみの
せんべいが「お子様せんべい」。これは砂糖が入っている。
http://www.iwatsuka.jp/okosen/shouhin/
関東のスーパーでも、見かけたこともあるが、
こうしたかるい焼きあがりの米せんべいの類は、
新潟のメーカーのものが非常に多い。

関西でせんべいといえば、小麦粉製の瓦せんべいだろう。
せんべいと言っても、思い浮かべるものは違うようだ。

「かるやき」は、餅を搗いたところへ、砂糖や水飴をいれ、
ねかすことで、種生地を軽く浮かすので、
「うき種」などとも呼ばれるという。
新潟では、「ふきよせ」という菓子が「うき種」製。
かつてとても人気を博した菓子だが、今は廃れてしまった。
対して「しめ種」は、パリっと堅い「柿の種」。
実は、これも長岡発祥。

都内ではよく見かける「瑞花」も長岡の会社。
ひと昔前、長岡の瑞花さんのウインドウディスプレイを担当
していたのがエキグチクニオさん。白い紙工芸作品が美しかった。

江戸の「かるやき」は、絵草子屋でもつくられていたという
驚きの話をこちら↓のページに書いた。
「お菓子かわら版 vol.14 川口宇兵衛の白雪糕とかる焼き」

第4回のテーマは、「お地蔵さまのおしゃれ」

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