越後の天神信仰5 春を呼ぶ天神さま

旧新津市で子供時代を過した女性(現在70歳台)からの聞き取り。

天神さまの日を境に春が来る。
前日まで竹のスケート靴で滑って遊んでいた道路だが、春を迎える
ために、宵宮の2月24日の夕方から、ヨキ(斧の1種・「よきことを聞く」
と言われる)で、凍った雪を割って、宵宮祭りの町の中をきれいにした。
お菓子屋から菓子が届き、炒った豆やあられは飴でつなぎ、三宝に
乗せた大皿に山型に盛り、 お明し(蠟燭)とお神酒、水、粉菓子など
とともに供える。
夕方から、子供たちは座敷で本を読んだり(親に聞こえるように)、
そろばん、習字などをする。家族で年取りの晩より少し落ちる程度の
ご馳走(影膳も用意)をいただき、天神様のおさがりをいただく。
そして、線香花火を座敷の火鉢でする。どこの家庭でもするので、
町中が煙るほどになる。大通りに煙がたなびく匂いを今も思い出す。
戦時中でも、町内会より天神さまの生菓子の配給があった。また、
終戦の年には、小学校で綺麗な生菓子が配られた。
その後我家では、鯛の粉菓子は家族の数だけ注文したので、鯛を
一匹ひとりじめできて、本当にうれしかった。

新津の線香花火は、家や町の「清め」の意味かとも思える。
線香花火以前には、何か薬草を燃やしていたのではないかと思われる。
天神は、家の神、年の神でもあり、春を1年のはじめとする暦を司る、
農(作)の神でもあったのではないか?

上野の五條天神社には、 節分行事の一つとして、薬草であるうけらを焚く
「うけらの神事」がある。天神社の祭神は、元来、菅原道真ではないが、
江戸時代に連歌師らによって、相殿として祀られるようになったそうだ。
ヨーロッパでも復活祭に、家の中で薬草を燻すと聞く。古い習俗がのこる
アルプスの山の村などでは、今も行われているようだ。

宵宮の2月24日は、旧暦時代の季節感に合わせ、1月24日の月遅れとして行っている。
『新津市史』にも記述あり。

コメント

人気の投稿