総国分尼寺・法華寺のひな会式
総国分尼寺である法華寺門跡では、毎年四月一日から一週間、
可憐な善財童子の小像が五十五体が、本尊の前にお祀りされる。
法華寺の「ひなの会」(ひな会式)と呼ばれる法会だ。
藤原時代の永観二年(984)に書かれた「三宝絵詩」という仏教書に、
ひな会式のことが記されているそうだ。法華寺サイトより
光明皇后がお建てになったこの門跡は、尼寺の総本山的な存在。
また、越後最古と言われる国上寺の御本尊の阿弥陀如来も
光明皇后の寄進によるものだ。
その昔は、今のような段飾りの雛人形は、一般的ではなく、
むしろ、神仏にも見立てた、天神、恵比寿大黒、達磨といった土人形を
「ひな」と呼んで、家にあるだけの人形を並べ、飾っていたことは、
地方の市史・民俗編などを見るとよく記されている。
そして、それらの「ひな」は、子供が生まれた時に贈られたもので、
代々の「ひな」さまが並べられ、「この天神さまは、ひいおじいちゃんの
天神さまだ」とかいうように、先祖をしのぶよすがでもあったようだ。
家庭の行事として、雛祭りが定着したのは、こうした心情が背景に
あったからこそではないかと思う。
立派な衣装を着た古いお雛様を見る時、頭に載せられた宝冠が
異様に大きいことがあり、肩がこらないかといらぬ心配をしてみるが、
お鏡や宝珠が載せられた宝冠から、勝手なイメージをひろげると、
「ひな」は祀るもの、家をお守りくださる神さまやご先祖さまとしても
意識されていたのではないか、と思うほどである。
可憐な善財童子の小像が五十五体が、本尊の前にお祀りされる。
法華寺の「ひなの会」(ひな会式)と呼ばれる法会だ。
藤原時代の永観二年(984)に書かれた「三宝絵詩」という仏教書に、
ひな会式のことが記されているそうだ。法華寺サイトより
光明皇后がお建てになったこの門跡は、尼寺の総本山的な存在。
また、越後最古と言われる国上寺の御本尊の阿弥陀如来も
光明皇后の寄進によるものだ。
その昔は、今のような段飾りの雛人形は、一般的ではなく、
むしろ、神仏にも見立てた、天神、恵比寿大黒、達磨といった土人形を
「ひな」と呼んで、家にあるだけの人形を並べ、飾っていたことは、
地方の市史・民俗編などを見るとよく記されている。
そして、それらの「ひな」は、子供が生まれた時に贈られたもので、
代々の「ひな」さまが並べられ、「この天神さまは、ひいおじいちゃんの
天神さまだ」とかいうように、先祖をしのぶよすがでもあったようだ。
家庭の行事として、雛祭りが定着したのは、こうした心情が背景に
あったからこそではないかと思う。
立派な衣装を着た古いお雛様を見る時、頭に載せられた宝冠が
異様に大きいことがあり、肩がこらないかといらぬ心配をしてみるが、
お鏡や宝珠が載せられた宝冠から、勝手なイメージをひろげると、
「ひな」は祀るもの、家をお守りくださる神さまやご先祖さまとしても
意識されていたのではないか、と思うほどである。
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