七尾と越後に伝わる猿神 その1 山王の猿神

七尾には、有名な「青柏祭」がある。
大地主神社(明治以前は山王神社だったため、「山王さん」と呼ばれる)
夏祭りであり、現在は5月3日から5日に行われている。

青い柏の葉に神饌を盛って供えることから、祭りの名がついている。
ちなみに、秋の祭りは「赤柏祭」。

この「青柏祭」の曳山は重要無形民俗文化財に指定されている。

その祭りの由来話に、越後との何か深い因縁をにおわす猿神の
言い伝えがある。

本来、近江の山王日吉神社を勧請したということで、猿神の話が
祭りにつきまとうのは不思議ではない。
ところが七尾では・・・・

神社にひそむ猿神には、毎年若い娘を差し出すことになっていた。
その年、娘を生贄に選ばれた者が、
深夜の社殿で、猿神のつぶやきを聞いた。

「越後のシュケンも、自分が能登の地にいることは知るまい。」

さっそく出かけて、越後のシュケンを尋ねると、全身真っ白な毛に覆われた狼だった。
シュケンは「修験」説、「酒見」の説もあり。
そのシュケンが言うには、「人々に害を加える3匹の猿神がいて、2匹は
退治したが、あと1匹を逃してしまっていたが、能登にいたのか。」

生贄の娘の父を伴い、海を飛ぶようにして、あくる日の夕方には七尾に
やってきたシュケンは、娘の身代わりとして唐櫃に潜み、社殿に供えられた。

嵐の一夜が明けると、激戦により、猿神もシュケンも息絶えていた。

「かくして人々しゅけんを厚く葬りし上、後難を恐れ人身御供の形代に
三匹の猿に因み三台の山車を山王社に奉納することとなれりと。車の
人を食うといはるる魚町の山車は此の山王社に人身御供を取りし猿に
あたれるものなりと伝ふ。」(『石川県鹿島郡誌』より)

青柏祭では、もっぱら人の恐るる猿神にのみ、注意は向いている。
「シュケン」のほうは、話の中では重要な存在ながら、その祠さえも
定かでないことが、腑に落ちない。
また、猿神は越後で退治された二匹も加え、三匹を供養するための
3台の山車が出るのは、なぜか?

そもそも、この猿神退治話は、江戸時代には存在していない、
比較的新しいものらしいことがわかった。
祭りは畠山氏の頃から続く古いものとされており、山車はその頃からである。
山車が先にあり、後から出しの数にあわせて猿神が三匹になったかのようだ。
この奇妙な由来譚がつくられた背景が気になるところであるが、
私にとってさらなる大きな問題は、祭りに欠かせない菓子「ながまし」である。
その2に続く。

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