七尾と越後に伝わる猿神 その4 「ながまし」から「なまがし」へ

言葉遊びのようだが、七尾の山王の猿神への
人身御供の代替品とも言い伝えのある「ながまし」は、
前田家由来の金沢の「五色生菓子」の「なまがし」へつながるようだ。

「ながまし」は、「大福」を長くしたような形ゆえ、「長まし」である
ということも言われている。


この「ながまし」は前田利家の出世城となった七尾城のある七尾と
その後加賀本藩の金沢城下である金沢の町でも、
「ながまし」と呼ばれる菱形のような両端をひっぱった楕円形の
餅菓子がある。

ただ、今では、金沢では主に「なまがし」と呼ぶようだ。
「五色生菓子」という祝い菓子が、加賀菓子文化のひとつとして
よく知られる菓子の存在の影響もあるように思う。

外の者からすると、長細い大福餅だけをとりたてて「なまがし」と
呼ぶのはちょっと不思議。もちろん金沢でもそうであるように、
生菓子というのは、もっと一般的な呼び名として使うからだ。
呼び名というのは不思議なもの。ご当地では誰も不思議には思わない。


ちなみに、同じ前田家が治めた富山の方言で、
「大福もち」を「ながまし」というそうだ。
「富山常備薬グループ」の薬袋の記述による
さらに「ながまし」を「ずこあか」「えら粉餅」とも言うこともあり、
12月8日の針歳暮(針千本・針供養)にも「ながまし」を贈るとか。

「五色生菓子」は有名なので、私が紹介するほどのことはないが、
その中に現在「なまがし」と呼ぶ細長い(菱形)の白い餅と
丸い大福餅の一部に赤い米粉をつけたものがある。
それぞれ、海と太陽をあらわすという。

もうひとつ七尾とのつながりで気になるのは、「いがら」。
金沢では、黄色「いがら」で里をあらわすというが、
七尾では、主に祭りの時期につくられている緑の「いがら」がある。
左が椿餅、右がいがら

加賀文化のルーツのひとつは七尾にある。
七尾には、古い形で今も残るものが多い。
金沢は前田家のショーウインドウで、見せる(魅せる)ための工夫が
施されており、みごとだと感じるが、私にとっては、七尾、能登の
姿のほうが、本来の土地の香りを嗅ぐことができるように感じ、
また越後と親しいのだと実感できる。


コメント

  1. 鬼喜来のさっと2016年10月19日 17:29

    はじめまして、猫の伝説について調べる過程で見つけた「越後のシュケン」を検索していてこちらのブログ興味深く読ませてもらいました。猫の伝説は曹洞宗、特に能登總持寺と白山信仰に関連があるのですが、こちらの「ながまし」が人身御供の代わりというのは面白いですね。元々は大福とのことですが、禅宗によって日本に持ち込まれた饅頭は、所謂中華肉まんの事で、三国志で有名な諸葛孔明が、河を渡る際に捧げる生贄の生首の代わりに作ったものが始まりとされていることから、古いしきたりがそのまま残ったのでしょうね。

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    1. コメントありがとうございました。今頃気がつきました。申訳ありません。
      猫の伝説が、總持寺と白山信仰に関連あるとは、面白いです。ということは、涅槃図に猫が描かれることも関係あるのでしょうか?
      「ながまし」は今でいえば、大福に似ているというだけで、大福とは関係ない成り立ちかと個人的には思っております。
      「ながもち」「牛の舌餅」などのほうに近いような気がします。
      餡はあとから入ったかもしれず、いろいろ不明なことばかりで、おもしろいです。
      おっしゃる通り、饅頭も生贄の話が定番でしたね。
      「川を渡る時に捧げる」といえば、12月1日のかびたり朔日の供え餅もあり、各地で「川渡り餅」などと言っていますが、そうしたしきたりとも通じるのかと思ったりしました。
      「越後のシュケン」はなんでしょう? 金沢あたりでも、「弥彦ばば」が祓いをする祭礼があり、弥彦とは、越後の一宮のはずですが、これともリンクするのか、
      私のようなものには、ちょっと見当がつきかねます。
      コメントありがとうございました。

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