「景勝団子」と上杉景勝

『菓子宝鑑』(大正5年)には、
「景勝団子」関連と思われる菓子が三種並んでいる。

「飛団子」 天明前後に両国橋の当りで売っていたものが、
今は、神田の当りを屋台と小さな臼を担いで売り歩いている。
小さな杵で搗いた、葡萄粒くらいの団子に、黄粉をかけたものらしい。

「かんかち団子」 正徳9年、両国東詰の松屋三左衛門が
「景勝団子」と言って売り出したもの。
「かげかつ」が「かんかち」になったようだ。
その後、長尾家に憚るため、「飛団子」と改名とある。
疑問は「景勝」という一世紀前の武将の名がなぜつけられるのか?
から始まり、景勝は長尾家の生まれではあるが、上杉謙信の
養子となり、越後全域を統一した上杉家の二代目である。
家康と同時代を生き、家康によって、米沢へ減封された。
それ以前に、正徳年間は6年間しか続かず、9年はないのだが・・・。

「越後団子」 これも「景勝団子」の名を替えたものとし、
その形状が長尾家の鉾先に似ているため命名されたとある。
さらなる疑問。長尾家の鉾先がそんなに知られた形だったのか?
長尾家=上杉家だが、江戸で100年後にその形を
団子にかたどるほど知られた鉾先だったのだろうか?

コメント

人気の投稿