新潟日報夕刊エッセイ「晴雨計」 第16回 良寛さんは甘いものがお好き?

良寛さんは甘いものがお好き?
新潟日報 2012.11.16 夕刊掲載
 
 「白雪羔少々御恵たまはりたく候」
良寛さんはこのような手紙を3通ほ
しました。「白雪羔」は、一般的には
「白雪糕」と書かれ、不明な点が多い菓
子ですが、調べるうち、米粉と砂糖を合
せた粉を、雪が降り積もるようにふんわ
り枠に篩い込んで、よく蒸してつくる、
できたてがおいしい菓子だったらしいこ
とがわかってきました。そして、この流
れをひくと思われるのが、新潟県民には
おなじみの「粉菓子」なのです。
 また、今はない三条・三浦屋の「都よ
うかん」も、良寛さんは好まれました。
店主の三浦幸助は、良寛さんと俳階や和
歌を通じた交流があった人物で、良寛さ
んが亡くなった時も、ご霊前に「都よう
かん」を供えています。三浦屋は菓子を
よく届けたようで、他にも「三浦やより
くわりん漬け一曲」などとみえ、砂糖
を多用し、曲げものに入れて保存される
南蛮菓子が贈られていたことがわかりま
す。これは、熊本の細川家の献上品であ
った「かせいた」や、ヨーロッパにも残
る、かりん羹かと思われます。  
 三浦屋は、今の本町4丁目あたりにあ
ったことが、江戸時代末期の商人向けの
旅のガイドブックともいえる「東講商人
鑑」でもわかります。店の名物は「とき
はもち」とあります。この少し後に出た
「越後土産初編 産物見立取組」にも
「三條常盤餅」がみえることや、昔は、
町の名物はどの菓子屋でもつくっていた
ことを考えると、江戸末期から続く三条
の老舗吉文字屋さんの記録にある「常盤
羹」も興味深いものです。吉文字屋さん
は、白雪糕と類似の「庭砂糕」を今もつ
くり、昔は庭にかりんの木があって、菓
子に使っていたそうですから、三浦屋の
仕事ぶりとも重なるようです。
 「東講商人鑑」にはまた、良寛さんの
書いた看板が有名だった「飴屋万蔵」も
載っています。店主がこの看板を書いて
もらおうと、新潟から地蔵堂まで良寛さ
んを追ってきて、懇願したエピソードが
ありますが、良寛さんは、人々に親しま
れていた反面、あれやこれやと書をせが
まれていたようで、ちょっとお気の毒。  
「天満宮」の書も何点か残り、家庭で天
神さまを祀り、天神菓子が盛んな地域と
も呼応します。良寛さんのおかげで、越
後の菓子文化の一端が記録されました。
甘いものがお好きでよかった!


白雪糕については、お菓子かわら版の
のページで、検討いろいろな例を引いて考察してみた。


「越後土産初編 産物見立取組」については、
「かせいた」については、

ヨーロッパのマルメロとかりんは別物だが、エッセイではかりんで統一した。
マルメロを生産する長野県では、マルメロをかりんと呼ぶという。

第17回のテーマは「寒天と水ようかん」


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