越後長岡城下年中行事  一月 年始の祝い

「年始の祝 武家邸宅の床飾」の図。

私の持つ反町本では、カラーの図版がすくないため、
色の確認ができないが、

床の間には、富士山の描かれた掛け軸を掛け、
その前に三方に盛られた喰積が置かれている。
米を山に盛った上に、細かい数種のもの(五穀?)が
きれいに載せてあり、真ん中に松を立ててある。
現在の善光寺塔頭で飾られる喰積に似ている。
傍らに、福寿草の鉢が置いてある。

脇の床の間に、注連縄を張った立派な箱の上に
脚付の折敷が置かれ、二重の鏡餅がのる。
鏡餅の上には、ゆずり葉、干柿、などが確認できる。
以上反町本『懐旧歳記』より

長岡市史双書で出ている久我本には、喰積の説明がある。
「三宝に米を以て山の形ちをなし、松を立て海老・
橙・昆布其他芽出度きくさぐさ積重、蓬莱山に表す、
是を喰積といふ」


喰積、蓬莱は、「おてかけ」「おでかけ」などともいうようだ。
平戸にはまだその風習が残り、米の山にのせるものを
七色菓子などとも呼ぶようで、年始客にも渡す。
長崎ではそれを「はさみ菓子」ともいうそうだ。


佐渡にも、「おてかけ」の三方に手をかけて、
新年の挨拶をする様子が写真に残るが、
今でも、残っているのかは不明。
加茂には「引手」という言葉も残るが、
十日町や、長野の水内郡でも、「おてかけ」の
三方や盆に積まれていた、祝肴のくさぐさを
懐紙に包み、ひねったものを年始客に渡したようで、
そのおひねりを「ツモノボン」などと呼んだらしい。

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