正月二十五日は天神講の日である。『巻町史』より

『巻町町史資料編6 民俗』1992年 p524より 
天神講 正月二十五日は天神講の日である。床の間や神棚の舌に天神サマの掛け軸をさげ、油揚げ寿司や梅の花の干菓子などを供える。福井では、サツキの余り米をふかして煎った饌米や、砂糖をつけたアナレをあげたといい、漆山では、土人形を飾った家もあった。また、並岡では松竹梅の花を供えたよもいい、お神酒や灯明をあげた。福井では大根の輪切りに松と笹をさして供え、笹はおかめ笹とも天神サマの竹とも称していた。
天神講は子供たちが中心で、峰岡のように宿に集まってするところも多かったが、潟頭では各家で行われ、福井や鷺ノ木では、気のあった子供同士が集まって、餅を焼き、カルメ焼きなどをして食べて遊んだ。
天神サマは子供たちの神様であり、学問の神様といわれ、字を書いて天神サマに供えると頭がよくなり、字が上達し、天神サマを敬うと、本を読むことが好きになるといった。潟頭では、天神サマの前で本を読むと頭がよくなるといわれ、福井では、天神サマの前で字を書いたり、本を読んだりした。
並岡では、二十六日に天神サマの掛け軸をおろした。

文中の「福井」は巻町福井で、「柚餅子」の名産地であった。
巻町は、2005年に新潟市への編入合併され、新潟市西蒲区。
長岡藩に米百俵を送った三根山藩があった地域。
「サツキの余り米をふかして煎った饌米」という記述の「サツキ」とは小正月(1月15日)にマイダマを飾って豊作を祈った行事のことである。
前のページ、p523には二十日正月に蓑笠姿でマイダマをおろす姿の写真が「二十日正月の稲刈り行事(中郷屋)」のキャプションとともに掲載されている。
江戸時代の『北越雪譜』にはマイダマの木をおろすことを「稲刈」と呼ぶとある。まさに稲刈の姿になり、たわわに実ったマイダマ、マイダマ煎餅をおろしている。
マイダマ煎餅につおての記述も興味深い。
松野尾では、マイダマ煎餅を持っているとまむしに噛まれないといい、五ケ浜では、マイダマ煎餅はコッパレカゼ(お多福かぜ)の薬になるといわれていた。
マイダマ煎餅の小判をほっぺたに貼るなどという話は、県内の他の地域でも聞く。

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