二十四日(旧暦一月)は宵天神、二十五日は天神様の日。『燕市史』より

『燕市史(民族・社会・文化財編)』1993年より
「天神講」(p273)
二十四日(旧暦一月)は宵天神、二十五日は天神様の日である。各地では、床の間に天神様の掛け軸や土人形、それに松・竹・梅を飾る。御神酒・灯明・あられ・天神菓子などを供える。子供たちは、天神様の掛け軸の前で習字をしたり本を読んだ後で、天神様の粉菓子や黒砂糖で煎った砂糖豆のあられを食べた。また、線香花火をして遊んだ。

今はしていないが、燕市と新津市同様に線香花火をしたという。
旧暦時代は1月であったことがあわかり、今は新暦に合わせて行う柏崎・出雲崎の海沿い地域以外は県内全域で、月遅れで(お盆のように)、天神さまを祝うようだ。


ついでに、団子が伴う行事で、同市上町の万能寺山門右の地蔵様について
興味深い記事があったので、p314よりさらに引用。
また、地蔵様は子供の守り神とされていて、子供が病気になると、地藏様に治療を祈願した。明治・大正の頃、万能寺の門前から大通りに出ると二軒目に団子を売る店があり、そこに、甘い団子と塩小豆の団子を売っていた。子供がオコリ(マラリアの一種)にかかると、その塩小豆のほうの団子を買って、万能寺へ行き、地蔵様に上げて、「どうか治して下さい」と祈願した。そして、その団子を持ち帰って子供に食べさせると、病気が治ったという。
甘い団子については書かれていないが、病気が治ったお礼に上げたものであろうか?
江戸時代から「土の団子か米の団子か」とうたわれた、東京・谷中のお仙の団子でも有名なように、土の団子を供え、願いがかなったとき、米の団子をあげるなどという行事は各地にあったことを思い起こさせる。

さらに、p137には「牛団子」の記述も!
笹団子のほかに牛団子というのがある。笹二枚で白団子を包み、牛の舌のようになるので、牛の舌ともいう。
「牛の舌」は神饌などでよく聞く名称である。新津市史には、「馬の舌」「鬼の舌」「舌餅」の記述も。この呼び名は、祭りの神饌などで多いだけでなく、家庭の行事菓子としても全国的に浸透しているのかもしれない。

2月1日を新潟では「インノコ(犬の子)朔日」「クツワ(轡)の朔日」など、いろいろにいうが、犬の子をつくるほか、クツワ団子、口はめ団子、土穂団子などの呼び名で、雇人との契約団子の習俗もある。この団子を食べたら、雇用の契約が成立したことを意味した。燕市史には「クツワダンゴ」と記載あり。

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