「菓子」と「かし」
「和菓子」の始まりは「木の実」だという。
漢字の「菓子」も「果子」「くだもの」だとされる。
いつもここでちょっとした疑問がわいてくる。
茶の湯の発生の頃からしだいに洗練されてきた「和菓子」の
ルーツが「木の実」「くだもの」である、というのはまだしも、
「かし」という音(オン)の大和ことばは、木の実がルーツなのだろうか?
「菓子」(グゥォズー)という漢字は、後からあてた文字だとすると、
日本の「かし」はもともと何を意味していたのか?
「かす」「かしぐ」という、「米を洗う」とか「炊く」「調理する」
といった意味のことばが気になるが、どうなのだろう?
「木の実」は自然がつくりだすものであるが、
米・粟などの穀物を使う「かし」は、人の手でつくるもの。
特に、米を粉にはたいて、手をかけてつくったものは、
人知を超えた存在に捧げる「御かし」となったのではないか。
「餅」(ピン・ビン)が、日本の「もち(ひ)」にあてられたが、
「餅」という漢字は、中国では、主に小麦粉製のものを
さすことはよく知られている。
それと同じように、「菓子」という漢字にも気をつけたい。
「木の実」ルーツ説はもっともだが、あまり力点を置き過ぎると、
菓子文化を考える上で、見逃してしまうことも多いように感じる。
近江の山の神を祀る神社では、神饌(しんこ製のツクリモノ)を
入れる木の箱を「カシバコ」と呼んでいる。
古代からのイケモノを、同価のササゲモノに替えるとき、
日本人が霊力を持つと感じている「米」の粉で、イケモノを象ってきた。
そうした神饌は、今も各地で続いている。
「しとぎ」や「しんこ」、そして「もち」にこそ、「かし」の本来を
見ることはできないだろうか。
辞書によれば、「タガネ」は「シトギ」の古語とされる。
「タガネ」は神武天皇の逸話もあり、供物の古例としても興味深い。
『日本の菓子』(亀井千歩子著)には、近江のいくつかの神社で
「タガネ」と呼ぶシトギを神饌としてつくる様子が報告されている。
漢字の「菓子」も「果子」「くだもの」だとされる。
いつもここでちょっとした疑問がわいてくる。
茶の湯の発生の頃からしだいに洗練されてきた「和菓子」の
ルーツが「木の実」「くだもの」である、というのはまだしも、
「かし」という音(オン)の大和ことばは、木の実がルーツなのだろうか?
「菓子」(グゥォズー)という漢字は、後からあてた文字だとすると、
日本の「かし」はもともと何を意味していたのか?
「かす」「かしぐ」という、「米を洗う」とか「炊く」「調理する」
といった意味のことばが気になるが、どうなのだろう?
「木の実」は自然がつくりだすものであるが、
米・粟などの穀物を使う「かし」は、人の手でつくるもの。
特に、米を粉にはたいて、手をかけてつくったものは、
人知を超えた存在に捧げる「御かし」となったのではないか。
「餅」(ピン・ビン)が、日本の「もち(ひ)」にあてられたが、
「餅」という漢字は、中国では、主に小麦粉製のものを
さすことはよく知られている。
それと同じように、「菓子」という漢字にも気をつけたい。
「木の実」ルーツ説はもっともだが、あまり力点を置き過ぎると、
菓子文化を考える上で、見逃してしまうことも多いように感じる。
近江の山の神を祀る神社では、神饌(しんこ製のツクリモノ)を
入れる木の箱を「カシバコ」と呼んでいる。
古代からのイケモノを、同価のササゲモノに替えるとき、
日本人が霊力を持つと感じている「米」の粉で、イケモノを象ってきた。
そうした神饌は、今も各地で続いている。
「しとぎ」や「しんこ」、そして「もち」にこそ、「かし」の本来を
見ることはできないだろうか。
辞書によれば、「タガネ」は「シトギ」の古語とされる。
「タガネ」は神武天皇の逸話もあり、供物の古例としても興味深い。
『日本の菓子』(亀井千歩子著)には、近江のいくつかの神社で
「タガネ」と呼ぶシトギを神饌としてつくる様子が報告されている。
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