越後の天神信仰2 順徳天皇の天神木像

承久の乱で、佐渡に流された順徳天皇(1210-1221)の
守護神であったという天神像が、出雲崎にある。
越後上杉藩二代藩主上杉景勝(1556-1623)により、
佐渡から出雲崎に持ち帰られ、多聞寺に安置された。

いつの頃にはじまったのかは、定かではないが、
出雲崎では昭和50年ころまで、この天神様(前立)の
お宮ごと大八車にのせて、お練が行われていたという。
お参りをすると、ポン菓子をひとすくい薄紙に包んで
いただけたそうだ。
梅型の紅白の小さな落雁(出雲崎大黒屋製)の頃もあった
そうだが、いずれも今は昔のこととなってしまった。
お練をされていた講中の方々がすでに絶えたからである。
多門寺さまでは、現在も1年に1度、お祀りをされている。
もちろん非公開行事である。

多聞寺裏手にあったという天神山の天神堂も、
大正時代のがけ崩れ以来再建がかなわないままで、さびしいかぎり。


追記 2016.1.25
昨年から、ご町内の方も年に1度の御開帳の日にお参りされるようになったとお聞きした。
昔あったという天神さまのお堂だろうか、昔の出雲崎の地図に「天神社」の名で記されている。
うかがったお話と「天神社」の文字の位置がかなりズレている。別の社の可能性もありか?
現在長岡とつなぐバスなども通る道路は、多聞寺境内を横切るように整備されたため、
道路ぎりぎりのところに本堂があって、不自然な形になっている。
上杉景勝の頃は、佐渡から到着する浜はと境内は隣接していたのだろうか?
多聞寺本堂前からは、海が見渡せ、佐渡もよく見える。

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