新潟日報夕刊エッセイ「晴雨計」 第20回 茅葺きの家のクリスマス

茅葺きの家のクリスマス
新潟日報 2012.12.21 夕刊掲載
 
 何年か前の12月、実家で何気なく広
た新潟日報の紙面に目が釘付けに。そこ
には、カトリック高田教会のキリスト生
誕を表す飾り(「馬小屋」と呼ぶ)の写
真がありました。2千束のわらで再現さ
れた小さな茅葺きの日本家屋に幼な子が
生まれ、薪を背負った野良着姿の女性が、
窓の外から見守るシーンでした。
 ヨーロッパなどの教会や広場、家庭で
飾られる「馬小屋」が好きで、よく見て
歩いた私ですが、その茅葺きの家での生
誕風景にすっかり魅せられました。
 私が通った長岡カトリック天使幼稚園
では、日々向かいの聖フランシスコ会の
教会にお祈りに行ったのですが、そのア
ッシジの聖フランシスコこそ、13世紀に
初めてキリストの生誕劇を上演した人で
した。それは、文字の読めない人にも伝
えたいという思いからでした。それをな
ぞらえてか、幼稚園でも、クリスマスに、
園児による生誕劇を上演しました。私は
羊飼いの役(男!)でした。そしてまた、
日本での最初の布教時代にも生誕劇は行
われました。キリシタン以外の人たちも
楽しんだとされています。
 冒頭の茅葺の家の「馬小屋」を飾った
高田教会には、五郎八姫のステンドグラ
スがあります。五郎八姫は、伊達政宗の
長女で、高田藩初代藩主となる松平忠輝
に嫁ぎました。キリシタンであったとい
われる五郎八姫。夫の改易により、伊達
家に帰りますが、終生信仰を失わなかっ
たとも伝わります。その五郎八姫の信仰
を思う時、私が気になるのは、ミサの時
の聖餅です。
 初期のキリシタンは、聖餅も小麦粉を
使い、ヨーロッパとかわりないものを焼
くことができたことでしょう。と同時に、
日本の習慣に合わせ、米の煎餅、炒り米、
そして餅も使われたようです。
 五郎八姫の御霊屋がある松島には、米
の煎餅を焼いていた紅蓮尼の逸話が残り
ます。「こうれん」とは、もともと米の
煎餅のことで、各地の行事菓子や郷土菓
子にも見かけます。日本の煎餅の始まり
には謎も多く、尼の逸話も気になるとこ
ろです。
 古くからの菓子は、人々が心に宿すも
のの意味やかたちを映して見せてくれて
いるのですが、いかんせん、それを読み
解く心のほうが失われているため、一歩
一歩たどる感じがしています。


高田教会の「馬小屋」について、
インターネット上では、上越タイムスの記事がご覧になれます。
私がこの馬小屋に惹かれた理由のひとつに、スペイン人宣教師家族に
よってつくられていたためではないかと思う。バルセロナで親しんでいた
「ベレン」(馬小屋のこと)のつくり方、まるで聖書の世界をのぞきこむような
スペインに多く見られる手法によって構成されていた。
茅葺屋根の家の周りには、柿の木や水仙などが配されていた。
高田教会の五郎八姫のステンドグラス
松島の五郎八姫の御霊屋。
五郎八姫の命日の5月8日に、松平忠輝公と一緒に菩提を弔う法要をした
ばかりだそうで、中には、お供物用の漆器やおふたりの卒塔姿が並んでいた。
2011年3月の東日本大震災の時は、津波と揺れの中、お寺の方々は
少し高いところにある、この御霊屋に避難し、夜を明かされたという。

下記ページ、ご参照ください。
「松島こうれん」のお店のサイト
「いとおかし*かみのくにこうれん」


関連ページとして
「いとおかし*修道院のお菓子*オスチア・聖餅」
仙台周辺では、小正月の「めえだま」に、餅を十字につけたり、
越後では、まゆだませんべいを家庭で焼いていた。
「いとおかし*まゆだまとクリスマスツリー」

第21回のテーマは「お正月の切り紙」

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