新潟日報夕刊エッセイ「晴雨計」 第17回 寒天と冬の水ようかん

寒天と冬の水ようかん
新潟日報 2012.11.30 夕刊掲載

 寒天は、テングサなどの海藻を煮溶か
した後、容器に流して固まったもの(ト
コロテン)を、寒中の露天でフリーズド
ライした食材ですが、その寒天を材料に
してつくった食品も寒天と言いますね。
 煉り羊羹は、この寒天の発明後につく
られるようになったといわれます。しか
し、長岡などで一般的な「冬の水ようか
ん」の始まりは、寒天とは関係ないかも
しれません。そこで、原材料である海藻
とともに考えてみたいと思います。
 新潟では、夏に「えご」を食べますね。
「えご」は、きれいに洗ったエゴグサを
鍋でゆっくり煮溶かし、練ってつくる、
手間のかかるものなので、もともとは、
お盆やお祭の時につくったものでした。
 長崎では、お盆の送り日に「鏡寒天」
を用意するそうです。テングサの煮溶け
た液は、固まると透き通った鏡のように
なります。お正月の鏡餅にも似て、霊力
を秘めたものとみなされたのでしょう。
新潟のお盆の「えご」は、長崎のお盆の
「鏡寒天」にあたるのかもしれません。
 このお盆につくる「えご」のように、
お正月に、「小豆の収穫祝い」も兼ねて
つくったのが「冬の水ようかん」だった
のではないかと推測しています。 
 というのも、栃木の方へ、行事菓子の
取材に伺った時、少し前までお正月に
「水ようかん」を食べたと聞きました。
栃木のような内陸部では、新潟のように
冬の間じゅう食べるほどは一般化せず、
特別な日の祝いの食であり続けたとも考
えられます。
 小豆は、その赤い色が好まれました。
赤は生命を象徴し、邪気を除けるといわ
れ、小豆は祝いの食にとり入れられまし
た。赤飯は小豆の煮汁で染めますね(長
岡は例外)。とすると、テングサ液と合
せたのは、小豆のこし餡ではなく、煮汁
の方が先だったかもしれません。
 お正月のおせちのお重に、赤や緑の寒
天を入れますか? 長岡ではスーパーで
も売りますから、私の実家だけの習慣で
はなさそうです。このハデな色の甘い寒
天が気になります。食紅がない頃は、小
豆を使って、紅白にでもしたのでしょう
か? 
 「冬の水ようかん」は、新豆の風味を
飛ばさぬよう、火にかける時間を最低限
にとどめ、寒天で寄せたような旬の味わ
いが身上。艶やコクのある煉り羊羹とは
趣が異なる菓子だと思うのです。


「えご」については、こちらのページがわかりやすい。

「冬の水ようかん」は福井が有名のよう。でも黒糖を使っている。
日光でも、「水ようかん」が名物になっている様子。
新潟も、こちらの日光のお店のように、小さめの竿ものが定番。
会津の東山温泉にも、水ようかんが名物のお店があるが、
名物となると、いろいろ梱包して売ることになり、一年中つくるようだ。

長岡では、漆が塗られた木箱「ようかん舟」に流して、カットしたら、
セロファンで包むだけで、売りられていた。 
決して缶やパックに入れたり、羊羹のように内側がアルミの包みを使わない。
冷蔵庫にいれることもなく、仏壇に供えておいたりした。
名物とか名店とかではなく、冬にはどこの菓子屋もつくるほど親しまれている。
「いとおかし*長岡のお菓子*水ようかん」には写真も。

輪島にも、冬の水ようかんがあると聞く。
「えご」が福岡の「おきゅうと」との関連を言われるように、
冬の水ようかんは、日本海側のハレの菓子文化だったと思う。

実は、京都の田丸弥さんが、極寒の日にかぎりつくるという「水ようかん」を
友人のおかげて、食べる機会があった。水ようかんの伝播の道をたどるのも
おもしろそう。はやくから、砂糖とてん草が豊富に使える環境がある地域。
北前舟のルート、そして、内陸へは河川ルート、舟運とかかわってきそう。

寒天を使うハレ食でいえば、金沢の「えびす」「べろべろ」なども興味深い。
甘い寒天に溶き卵が入るのがポイントの料理菓子。
富山県の氷見などでは、「えびす」を富士山型に流す。
寒天ではなく、てん草からつくることも、見逃せない。
寒天は「砂糖喰い」とも言われ、かなりの砂糖を入れないと、
甘みが出ないことも、ハレの日にしかつくられない理由の1つかもしれない。
溶き卵をいれたり、お醤油で味をつけたり、いろいろ。

内陸の岐阜などで、米粉を使う富士山型の「からすみ」へもつながって
いきそうな菓子文化のようにも思う。
「からすみ」はひな祭りにつくられるハレの菓子。

第18回のテーマは「身上おこす釜おこし」

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