天神様の日の食べものと線香花火 『新津市史』より 

二十五 天神様
 この日は、三枚潟では小豆粥、小口は稲荷ずし、北上新田では五目飯、満願寺では餅とそれぞれ異なるが、大豆の入ったあられの砂糖ころがしは、どこの家でも作った。天神さまには、松竹梅をかたどった菓子と線香花火を供える。天神様は味付けご飯が好きだといい、昔は味噌漬けを小さく刻んでご飯にまぜたりした。昭和三十二年頃から五目ご飯になり、人参、牛蒡、油揚げ、こんにゃく、くるみなどを炊き込んで作った。
『新津市史 資料編 第6巻 民俗・文化財』1991年 p134より

この25日というのは、1月25日である。
「二十日 二十日正月」の次に、「二十五日 天神様」とある。

また、冬から春の行事の項目には(P371)、1月の行事として下記の記述あり。
天神様
二十四日(月遅れで二月二十四日のところもある)は、宵天神、二十五日が天神講の日である。床の間に天神様の掛軸や土人形、それに松・竹・梅を飾る。お神酒・灯明・アラレ・天神菓子などを備える。子どもたちは掛軸の前で習字や本を読んだ後で、天神様の粉菓子(鯛や鶴や亀、それに天神様の形をしたもの)や黒砂糖で炒った砂糖豆のアラレを食べる。満願寺ではこの日、小豆粥と白団子を食べる。子供たちはせんこう花火などをして遊んだ。


同じく新発田藩領だった小須戸でも線香花火をする。
『小須戸町史』(昭和58年)によれば、
天神様 2月25日
24日を宵天神という。五目飯、朝は雑煮。掛軸をかけ、天神菓子を供える。梅を飾り、なます・のっぺ・さとう豆、餅などを食べた(横川浜)。二十四の晩はよその子どもをよんで線香花火をあげたり、黒ざとうの豆やあられを食べた

現在は長岡市に併合された中之島町もかつて新発田藩領だった。
そのせいか、『中之島町史』に、2月25日(旧1月25日)に天神講とある。
今も天神菓子がまいだま煎餅(良寛さんのかたちもあり)も焼く丸幸菓子店などで売られている。すぐあとの3月1日が「いぬのこ朔日」とあり、どちらも月遅れで行われている。

他に、『新津市史』『燕市史』『分水町史』『吉田町史』『巻町史』 の抜き書きもご参考まで。


越後高田(現・上越市)の老舗あめやでも、正月に天神さまをまつったそうで、糸魚川、直江津ともに、正月の天神さま行事の報告があり、今後訪ね歩いてみよう思っている。そのため暫定的ではあるが、越後天神さま行事の大まかな分布図(制作中)を掲載。

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