天神様の祭り 『分水町史』より

天神様の祭り 昔の正月は旧正月で、今の二月であり、子ども達は正月の延長として二十五日の天神さまの祭りを楽しんだ。天神様の軸をかけ、氷菓子を飾って勉強ができるようにお祈りした。天神菓子は天神様やだるまの大きいもの、十二支を形どった小さいものなど、色鮮やかに彩色した美しい砂糖菓子で、多く売られていて目を引く。昔は甘い菓子が無かったので、子ども達は大喜びであった。渡部の柳場組には昔からの講の形態が維持されていて、組をあげて祭事を行い、宴を催している。
『分水町史 資料編4』 2003 p161より

現在、分水町(2006年より燕市に併合)では、旧暦の季節感に合わせ、月遅れの2月25日に行っている。「氷菓子」について「十二支を形どった」とあるが、掲載されているモノクロの写真を見ると、現在も分水で売られている砂糖菓子(金花糖)と同じ。12支ではなく、小さな天神、燈籠、鯛、海老、犬、つがいの鳥である。各組で行う講と、家庭の天神様の祭りは別であったようだ。

また、p166には、
『島上村誌』からの引用をして、
天神講は「寺小屋時代の遺習で、女児の針供養に当たるもの。子どもたちは自分の家に菅原道真公の像を掲げ、松・竹・梅・いご柳などのお花や、お菓子、白酒などを備えてお祭りをし、天神経を読むものもあったが、大方はおりん(鈴)を打ちながらこの謡をうたった。二十五日の天神講手習講 鉈もって山へいけ、中飯弁当忘れんな」と記述している。大河津や笈ヶ島では、軸を掛け天神菓子を飾り、父親が子どもを並ばせ、「天神講、手習講、手をよくしてくんなせい」と歌い、習字や勉強が出来るようにと祈った。

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