粉菓子のこと9 糕(こなもち)
「糕=こなもち」
「白雪糕」「庭砂糕」「口砂香(糕)」「こー(糕)菓子」と
「糕」の文字のつく菓子が日本には細々と残る。
しかし、粳(ウルチ)米の粉を蒸してつくる「糕(こなもち)」は
日本ではみごとに衰退してしまった。
「こなもち」とは聞き慣れない、言葉ではあるが、
お隣の韓国で言う「お餅」のひとつは、「こなもち」である。
「粉を蒸す」ことは日本では廃れ、韓国で発展した。
この違いがどこからくるのか?
ひとつには、もともとの米文化の違いと思われる。
大陸の北の方では、米より小麦中心。
麦は殻が硬いが、中身はすぐに粉になる穀物なので、
炒り麦、粥の粒食を経て、臼や水車・風車での粉挽きにより
粉食が発達し、パンや菓子も思うままとなった。
麦の粉食文化圏では、米の粉食もかなり発達したようで
粒食がたやすい米でさえ、粉食が多く行われた。
すると、米の粉を蒸す「糕」がハレの日の食となる。
この場合の米は粳(ウルチ)である。
中国では「餅」は小麦製で、「糕」は米製とされるが、
韓国のシルトック、ペクソルギといったハレの日の
行事菓子は、いずれもウルチの「こなもち」であり、
ペクソルギは、漢字で書くと「白雪糕」なのである。
一方
北のウルチ米文化とともに、南のモチ米文化にも馴染んだ
日本では、この糯(モチ)性を大事にし、糯の粒食を好み、
「望=毛知比(もちひ)」や「おこわ」をハレの日の食とした。
これに「煎餅・いりもち」の「餅」の字をあてるようになったのは、
それほど古いことではないようだが、その経緯が興味深い。
「餅(むしもち)」「十字」と呼ばれた、やや謎の存在も気になるところ。
また同時に、粳の粉食である「しんこ」は可塑性もあり、
「シトギ」「はたきもち」(はたくは粉にすること)とともに
早くから、神饌をはじめ私たちの食文化の中に浸透した。
同じウルチの粉食でありながら、「こなもち」だけが衰退。
韓国には粳の「しんこ」「はたきもち」はあるが、糯の「もち」が
ほとんどない。「糯」に対する感性や気候の違いであろうか?
「白雪糕」「庭砂糕」「口砂香(糕)」「こー(糕)菓子」と
「糕」の文字のつく菓子が日本には細々と残る。
しかし、粳(ウルチ)米の粉を蒸してつくる「糕(こなもち)」は
日本ではみごとに衰退してしまった。
「こなもち」とは聞き慣れない、言葉ではあるが、
お隣の韓国で言う「お餅」のひとつは、「こなもち」である。
「粉を蒸す」ことは日本では廃れ、韓国で発展した。
この違いがどこからくるのか?
ひとつには、もともとの米文化の違いと思われる。
大陸の北の方では、米より小麦中心。
麦は殻が硬いが、中身はすぐに粉になる穀物なので、
炒り麦、粥の粒食を経て、臼や水車・風車での粉挽きにより
粉食が発達し、パンや菓子も思うままとなった。
麦の粉食文化圏では、米の粉食もかなり発達したようで
粒食がたやすい米でさえ、粉食が多く行われた。
すると、米の粉を蒸す「糕」がハレの日の食となる。
この場合の米は粳(ウルチ)である。
中国では「餅」は小麦製で、「糕」は米製とされるが、
それほど簡単なことでもないことは、カステラの中国版とされる「蛋糕」や
「馬拉糕」などが小麦粉製であることからもわかる。
韓国のシルトック、ペクソルギといったハレの日の
行事菓子は、いずれもウルチの「こなもち」であり、
ペクソルギは、漢字で書くと「白雪糕」なのである。
一方
北のウルチ米文化とともに、南のモチ米文化にも馴染んだ
日本では、この糯(モチ)性を大事にし、糯の粒食を好み、
「望=毛知比(もちひ)」や「おこわ」をハレの日の食とした。
これに「煎餅・いりもち」の「餅」の字をあてるようになったのは、
それほど古いことではないようだが、その経緯が興味深い。
「餅(むしもち)」「十字」と呼ばれた、やや謎の存在も気になるところ。
また同時に、粳の粉食である「しんこ」は可塑性もあり、
「シトギ」「はたきもち」(はたくは粉にすること)とともに
早くから、神饌をはじめ私たちの食文化の中に浸透した。
同じウルチの粉食でありながら、「こなもち」だけが衰退。
韓国には粳の「しんこ」「はたきもち」はあるが、糯の「もち」が
ほとんどない。「糯」に対する感性や気候の違いであろうか?
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